フランスが世界に誇るパリの街並みは、たしかに美しかった。
石畳を敷きつめた道路に、古いながらも十分に手入れの行き届いた建築物を見ていると、世界中からこの町を見るために大勢の観光客が訪れるというのもうなずける。しかもその建築物というのは、ノートルダム寺院やルーブル美術館といった観光客向けの建物だけにとどまらず、一般のアパートまでが街の美しさの一部となっているのだ。
しかし私がこの街並みを素直に美しいと感じるまでには、ずいぶんと時間がかかった。パリに暮らし始めたころ、この美しい街並みに囲まれていると、どこか落ち着かない気持ちになった。
一番違和感を覚えたのは、周囲のアパートがきっちりと一定の高さにそろっていることだった。どのアパートも屋根裏部屋まで入れても八階建てどまりだ。建物の高さに関する厳しい規制があるのは、一目瞭然だった。調べてみると、パリ市内の建築物には五段階の高さ規制があり、一番厳しい中心地で一五メートル、私の住んでいるところは三〇メートル強までと決まっている。しかも、これはフランス革命以前からの決め事だ。日本の江戸中期に作られた規制が、今日のパリの美しい景観の基礎にあることを知り、少なからず驚いた。
野放図な資本主義国である日本からきた私には、パリの整いすぎた街並みが禁欲的で、しかも抑圧的にさえ映っていた。以前の勤め先があった銀座のつぎはぎ的な街の面相とは大きく異なる。カニ道楽やグリコのど派手な看板を誇らしげにしている「ごった煮」のような大阪の難波と比べると、同時代の都市でも国によってここまで違うのか、と思えるほどだ。また私が数年間過ごしたアメリカの大都市であるニューヨークやシカゴの摩天楼も、ここにはなかった。
それぞれの資本がエネルギーと欲望の発散した結果できあがったモザイク的な街で暮らしてきた私にとって、パリはひどく行儀よく、活力にかけるようにさえ思えてならなかった。
高さ規制に加え、パリのアパートがいずれも古いことにも、居心地悪く感じていた。我が家が移り住んだアパートは、一〇〇年以上前に建てられたものだという。さらに古い建物が残るマレ地区に住む友人宅を訪ねたとき、そのアパートが一七世紀に建てられたことを知った。不動産屋に話を聞くと、街並みを保存するために、古い建物を優遇する各種の税制措置があり、それは暖房器具や水周り、外壁の塗装などを年中修理したり、手入れしてもおつりがくるほど手厚いものだそうだ。
古い建物の常として天井が高い。私の居心地の悪さは、この天井の高さにあった。
それまで住んでいた日本の公団と違い、天井の高い室内は開放感があり快適だった。しかし周りの建物を見るたびにこう考えずにはいられなかった。
「天井を低くしてこのアパートを建て直したとすれば、八階建てのところに九階建てのアパートを建てることができる。そうすれば家賃収入は一割以上増える。高さ制限があるのだから、収入を増やす方法はそれしかないはずなのに……」
考えてみれば不思議なことである。
私自身、一度も人に貸すような不動産など持ったこともなく、これから持つ可能性も低いというのに、アパートを見るとき、自然と家主の立場に立ってどうすればもっと金が儲かるのかを考えずにはいられないというのだから。この金儲けを第一として物事をとらえる習慣は、いったいどうして身についたのだろう。
(次回へつづく)